戦場に降る雨のように
雨は嫌いではなかった。
一時程も前から降り続いた雨は勢いを増し、静かになった戦場に音を立てて降る。もはや動かぬ人馬も、血も、刃も、戦場の凄惨な光景の全てが等しく水の幕にぼんやりとけむる。それは佐助の身や手にした鋼にも伝い、彼を洗った雨は赤い流れとなって地の赤に混じる。佐助が身を濡らす血と、その足元の雨でなくともぬかるむ程に流れた血とのほとんどは、佐助ではない他人のものだった。
たとえばそうして、いつしか全ての血が洗い流されたとしても、もはやそれによって清められる己だとは思っていない。また、雨は冷たく、自身も少なからぬ量の血を失った佐助の身体から容赦なく熱を奪う。それでも佐助は雨が嫌いではない。
どれほどそうしていたのか。飽くことなく、ぼんやりと雨の落ちるさまを眺めていた佐助の視界の端に見慣れた紅がうつる。馬上の主が駆け寄るのを認め、やはり安堵があったのだろう。不覚を訴える理性を知りつつも、遠のく意識を留める事ができなかった。
「いっやー、悪いね旦那!手間かけちゃってさ〜」
床から上体だけを起こし、佐助はへらへらと笑った。対した幸村は押し黙ったまま布団に目を落としている。
沈黙が気まずい。佐助はこっそりため息をついた。
「あー‥やっぱ旦那、怒ってる?」
とはいえ、佐助は内心しかたのない事と思っている。己は戦忍びであり、あれは戦場だったのだから。敵味方互いに命をかけるのは当然ではないか。
「でもさ、あそこで俺が持ちこたえなかったらちょっとばっかしヤバかったんじゃない?任されちゃってたしお仕事」
なおも幸村の応えはない。聞いているのかどうか、じっと動かず一点を見つめている。1人言い募る佐助の言葉が空しい。
「‥ま、確かに今思うとちょっと無理しちまったかなーなんて思わなくもないんだけどさ」
佐助はやれやれと早々に言い訳を放棄した。普段は嬉しいのも悲しいのも全身で大袈裟な程に表現する幸村なだけに、このように押し黙るともてあましてしまう。
「怒っているのではござらん」
ようやく目を上げ口を開けばこれもまた、いつもの無駄に力んだ物言いではない。佐助としてはやりにくい事この上ない。
そもそもが、我が主ながら幸村の行動は概ね常識や理屈というより本能の領分が勝っているように思う。
「連れ戻って2日、佐助は目を覚まさなかった。あの日、某の腕へ倒れこんだおぬしは」
それゆえに、ごまかしが効かないのだ。苦労して笑顔を取り繕っても軽口で茶化してみても、他の人のようにはちっとも騙されてはくれない。ここで「無茶をするな」と叱責されるだけであれば、次は気をつけますで終わる話ではないか。それを。
「笑っていた。‥この男は、きっと笑って死ぬのだ、と思った」
どうして、わざわざその奥までをも見抜いてしまうのだろう?どうしていきなり間を飛び越えてど真ん中をついてくるのだろう。
「な、旦那‥なに、言って‥」
不意をつくものだから、上手く笑えないではないか。
「戦は辛いか」
幸村はじっと佐助を見つめている。その顔が、表情はそのままでわずか上気する。
「某は佐助が好きだ。生きていて欲しい」
「なっ‥!」
っていうかさ。もっとこう駆け引きとか、婉曲な物言いとかできないものかねこの御仁は!?何でも素直に言えば良いってモンでもないでしょ、子供じゃないんだから!内心のツッコミは一向に口をついて出てこない。
そんな風に言われては、期待をしてしまうではないか。想われているのではないか、とか。‥救われるのではないか、とか。
「本当に辛いのならば‥おぬしならば、戦場に出なくとも十分に働くことができるのではないかと思う」
あれほどの腕、惜しくはあるけどな、とふっと表情を和らげた幸村の手が、惚けている佐助の手に重ねられる。自分より高い体温の、心地良さにはっとなる。
これは、望むことすら許されない期待だ。
「ち、ちょっと待ってよ‥旦那、何1人で勝手に決めちゃってンの!もー、違うってば、旦那そういう頭使うの苦手でしょ?!似合わないって‥」
言い繕う己の声に色濃く動揺がにじんでいるのが解る。
ああもう俺って今ちゃんと笑えてるのかな。何か声震えてない?ザマないよね。ホラ見なよ旦那の顔ったら。「心配」を絵に描いたようじゃないか。
「佐助」
呼ぶ声が言外にもう何も言わなくて良いと伝える。重ねられた手に僅か力がこもり、幸村が身を乗り出すのが解った。
「だ‥ダメだ旦那!俺は‥俺は今もはっきりと覚えてる、あのときの、肉を断ち、腕を落とす」
肩を抱こうとする幸村の手を、温もりを、まるで恐ろしいものであるかのように振り払う。佐助。幸村がまた呼ぶが、それにすら耳をふさぐ。
「あの音を、匂いを、悲鳴を!怒号を!感触を!‥そのときの、歓喜を!!」
「佐助、傷に障る」
なだめるように、しかしもがく佐助を抑えて抱く幸村の腕は力強い。
「俺は‥旦那みたいに、純粋でも綺麗でもないんだ。誰かのためとか、信念なんかじゃない。力を試したい訳でもない」
抑えられ逃げることもできず、その胸に縋る。
「俺は、楽しいんだ‥人を殺すのが‥!」
この人はなんて温かいのだろう。(止めてくれ!)
温もりが切なくて、涙が出そうになる。(いっそ知りたくなかった)
「仕事だと言い言い聞かせてないと‥歯止めが効かなくなるんじゃないかって」
知らなければ失う恐れもないものを。ただ、この命が尽きるまで彼の横に居られれば良かったのに。(居られなくなるのであれば、いっそ消えてしまいたい)
「怖いんだよ、旦那‥!」
一番怖いのは、穢れた己が幸村に見限られてしまうことなのかもしれない。何のことはない。信念も倫理もない、利己的でしかない浅ましい想い。 なぜ、この浅ましい穢れを暴くのか!
その首を、幸村の腕が抱き寄せる。馬鹿みたいに何度も佐助の名を呼ぶ声が震えている。
「佐助‥佐助。某は、おぬしが思っているような人間ではない」
なぜ穢れを知ってなお、抱くのだろう。
「たとえおぬしが死を望んだとしても、某は嫌なのだ!許してやれぬ‥!」
気付くと抱きしめる腕が強い。既にそれは佐助の傷を案じるものではない。
「おぬしに、傍らに居て欲しいのだ。おぬしが辛いと思っていても」
傷が少し痛んだが、佐助はされるに任せた。
不用意な腕の力は、声の震えは、幸村の怖れの表れなのだろうか。佐助を失うかもしれないと。この人でも、不安になることがあるのだろうか。
「おぬしに、傍らにいて欲しいと思う某のせいで佐助はその刃を振るうのだ」
こんなにまっすぐなのに。
「責めは全て、幸村が事と思ってはくれぬか‥?」
こんなにも優しいのに。
腕の中があんまりにも温かくて心地よいものだから。佐助の頬に一筋、あのときの雨にも似た涙が流れる。泣いているのだろうか、この非情な己が?佐助はわずか、自虐に顔をゆがめた。
「‥‥旦那、痛い」
佐助がぼそりと言うのに、ようやく気付いた幸村があっと腕を解きすまぬ、と謝る。慌てて離れようとするのを許さず、自由になった手でその頭を捕らえて引き寄せる。
「俺があんたの側に居るのなんてさ、当たり前なんじゃない?」
ヤボに意味を聞かれるのも嫌だったから、応えが返る前にその口を、己のそれで塞いでみた。
離れた後幸村が驚いて見返すのがちょっといたたまれなかったけども、しょうがないじゃん。俺は真田の旦那みたいに真っ直ぐ「好きだ」なんて言えないんだからさ。
幸村の言う事は(信じられないくらい)嬉しかったけども、全てをそのままに受け入れられる程人は都合よくできていないと思う。だけど、想いが同じであるのなら。もう少し。もう少しでも長く。傍らで、共に歩みたい。
この人の不安を、和らげることが出来るなら。
ただの気休めに程度にしかならないとしても。たとえば、戦場に降る雨のように。
「戦場」は「いくさば」とお読みいただけると。
カオル殿とえちゃ中に「こいつらこーに違いないよ!」とか語り合った萌えそのままです(爆)。なんでカオル殿にささげまするよ返品不可で!(脱兎)
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